2020年御翼4月号その4

         

「このために生まれてきた」と思えたとき ―― 医師・小澤竹俊さん

 クリスチャンの小澤竹俊さんは、医師になったばかりの頃、人の命を救う力が欲しかった。それですごく勉強し、救命医療の知識と技術を追い求めた。それでも力の及ばない症例に出合うと、逃げたくなり、打ちひしがれた。しかしある時、その無力感の中で神様から「それでいいんだよ」と赦された気がした。あの感覚は衝撃的だったという。それは開き直りではない。無力さに苦しむ自分を、なお認めてくださる確かな力だった。
 小澤さんはその後20年以上に渡って、ホスピスで終末期の緩和ケアを手がけてきた。これまで3千人以上の患者さんを看取ってこられたが、「看取りの現場は、自分たちが望むような世界観では、絶対に通用しません。ケースによってはかなわないこともあります。医者ができることは、そんなに多くないのです。人は、自分の世界観や智恵の限界を徹底的に味わったとき、何かを見いだすことがあります。健康だったときには気づかなかった、人の優しさや、自然とのつながりなど。その気づきは、神様が計画された中にあると思います。そうすると、人は穏やかになります。現場にいる者は、心の中で祈りながら、それを待つしかありません」と小澤さんは言う。
 人は皆、様々な事情を抱えて生きている。「親と折り合いが悪く、愛された経験がない」「結婚したことがなく、子どももいない」「希望の仕事に就けず、職を転々とした」「周りに勧められるまま結婚し、義理の両親の介護に追われてきた」「重い病気を抱え、余命わずかだと宣告された」こうした過去の経験や現在の状況から、「自分の人生は幸せではなかった」と感じる人がいる。小澤さんは、緩和ケアの現場で確信したことがある。それは「どのような人生を歩んできた人でも、『自分はこのために生まれてきたのだ』と心から思えたときに、大きな幸せを感じる」ということである。「ろくな人生じゃなかった」が口癖だった患者さんが、人生で失敗したこと、学んだことをブログに書くことを思い立ち、「俺はこのために生きてきたのかな」と笑顔で言ったことがあった。「家事や育児や介護に追われているうちに、人生が終わりに近づいてしまった」とぼやいていた女性の患者さんが、「でも、家族の笑顔や健康を守れたことが私の誇りです」と幸せそうに言ったこともあった。
 「『つらく苦しい出来事にも、意味があった』と気づき、『自分はこのために生まれてきたのだ』と納得し、明日への希望を持つことができれば、その瞬間、人生は大きく変わります。そしてそれこそが、人にとっての究極の喜びや幸せなのではないかと、私は思うのです」と小澤さんは言う。終末期を迎えて苦しむ人たちに誠実に向き合う人が、まだ少ない。絶望の中にあってなお光があることを伝えられる人材を育てていきたい、それは、医療、介護の分野だけでなく、たとえば商店街の人たちなど、地域の幅広い分野で対応しなくてならない、と小澤さんは考え、「めぐみ在宅クリニック」を開院した


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